2:00-3:00.am



 青年が裏で片付けをしている音だけが、とぎれとぎれに聞こえてくる。
 誰もいないフロアでひとり、店主は読んでいた新聞をたたみ、時計に目をやると、そろそろ閉店の時間になっていた。

「今日はもう来ねェようだな……」
 かけていた眼鏡を外し、目頭を軽く揉む。

 眼鏡は昨年、青年がプレゼントしてくれたものだった。
 ラベルの文字を読みにくそうにしていたのに気付いた青年が、翌日、眼鏡屋に引っ張っていったのだ。
 ずいぶん重宝してきた眼鏡だったが、最近また度が進んだらしい。前よりも見づらくなっている。

「歳くったなァ……お前も」

 からかうような声に、ぎょっとして顔を上げると、いつの間にか男が一人、カウンターに座っていた。
 肩まである黒いボサボサの髪に、長く垂らした口鬚。肩を落として腰かけていてもわかる立派な体躯。
 誰にも真似のできない、その圧倒的に大きな存在感は─────────

「…………よく、来たな……ロジャー。」

 店主が微笑んだ。青年にだけ時々見せるのとは違う、やさしさと尊敬……そして、ほんの少し寂しさが入り交じった笑みだった。

 店主は黙って一番上の棚から、一本のボトルを取った。
 それは、南の小さな島国で代表的なメーカーの、地下貯蔵庫で熟成されたプレミアム品で、深みとコクのある味わいが特徴のラムだった。ひと昔前は、内戦でなかなか手に入りにくくなっていたが、今はまた、ぼちぼちとだが出回り始めている。そんな背景で、他のラムに比べるとやや値は高いものの、某ラムの高級メーカーの出す二十七年ものなんかと比べると断然手に入りやすい、わりと庶民的なものだった。
 グラスに半分ほど注ぎ、ストレートで男の前に置く。
 男は嬉しそうに言った。

「憶えててくれたのか……」
「ああ。」

 かつて男は、美味い酒は好んではいたが、高級品にこだわらない、寧ろ普通に美味いものをよく飲んでいた。
「忘れるわけねェだろ」

 あれは、まだ店主が青年とそう変わらぬ年頃のころ。店主はこの男と共にすごした時期があった。
 わずか半年にも満たなかったが、傍ですごした時間や与えてくれた見識は、数十年を経た今でも、何にも代え難い財産のひとつで…………。

「……忘れることなんか、できるはず………ねェだろうが」
 琥珀色のグラスに目を落とした店主を、男は静かに見上げ、
「お前は、変わらねえな。」

 やさしい声とともに頭の上に落ちてきたぬくもり。──────懐かしい男の手。

「それはアンタだろ?」
顔を上げぬまま店主は少し、笑う。
「違ェねえ。」男も喉の奥でくぐもった笑い声を立てた。

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「あれ…?誰か客来てなかったか?」
「さァな。気のせいだろ?」

 不思議そうに首を傾げ、また奥に引っ込もうとした青年が、店主の手の中のグラスと傍らのボトルを見て、驚きの声を上げた。

「めずらしー……ラムも飲むんだ?」
「たまには飲みたくなる日もあるさ。」
「初めて見たぜ、おれ。アンタがそれ飲むの。」
「毎晩飲んでたころもあったけどな。」店主は軽くグラスを掲げて「お前も飲むか?」
 青年はグラスを受け取り、ちろりと舐めたが、すぐさま店主にグラスを返した。その渋い顔に店主は笑う。
「しょうがねェな…………。口直しに何か作ってやるから、ソレ、とっとと終わらせて来い。」

 二つ返事で青年は奥に駆け込んでゆく。
 それを満足げに見送る店主の横顔を、ラムのボトルだけがそっと見ていた。