20:00-22:00.pm



 なんだってここは、カクテルの作りがいのない客ばかりなんだろう?

 それが青年の目下の悩みだった。
 この店は、町のメインストリートからずいぶん離れているので、二件目にふらりと立ち寄るには遠すぎる。辺りには人家もないので、暗い夜道を歩いてまで……と、ご婦人方には嫌厭されがちだ。
 となると、客はここまで歩くのを屁とも思わぬような、酔狂かつ頑丈な奴らばかりになる。
 彼らは一様に、飲むものは主にビールかウイスキー……それもストレートあるいはロックで、ソーダ割りなどよほど暑い日でもないかぎり注文しないので、若い女性が喜ぶ甘いSTRAWBERRY COLADA(ストロベリー・コラーダ)や、ムードのある場に華を添える、鮮やかなKIR ROYAL(キール・ロワイヤル)など、もうずいぶん長いこと青年は作っていないのだった。
 そのことをぼやくと、目の前のそばかすの青年がにっと笑って言った。

「じゃあ、今日は俺が注文してやろうか?」

 彼は麦わらの少年の兄である。
 だが、時間外に店に押し掛けて「飯!」と喚くようなことはしない。
 食事の最中にいきなり眠るような変人ではあるが。
 それでもあの弟よりは全然マシである。
 人懐っこい彼と青年は話が合い、よくカウンターを挟んで話を弾ませていた。

「なんだ、つき合ってくれんのかよ?」
「たまにはこういうのも悪かねーし。」
「じゃ、何が飲みたい?」
「メニューってないのか?」
「作ってない。」
 ああ、と彼が拳を叩いて「じゃ、俺に合うのを作ってくれよ」
「アンタにか?」

 女性客相手になら(ごくたまにしか訪れないが、全くいないわけではないのだ。この店にオレンジを卸している美人姉妹など、本当に人数は限られてはいるのだけれど。)喜んでそういうこともやったが、男相手にはウィスキーの銘柄を薦めることぐらいしかしたことがない。

「俺が納得出来なきゃ、そっちのおごりだからな。」
 そう言って彼はにっと笑った。

 青年はざっと棚に目を通した。
 店主の手入れがいいので、ウイスキー、ブランデーはもちろん、リキュールから果実酒まで、あらゆるボトルが揃っている。

(ハーブ系をキかせたのがいいか……?)

 女性相手なら、甘めで軽い、受けが良いものの中から、彼女の服や、瞳の色や、ルージュの色に合わせたカクテルをピックアップし、気のきいた言葉の一つもつければよいが、この男相手ではそうもいかない。
 ある程度の好みや人柄などの情報を得てしまうと、返ってそれに縛られてしまっている自分に気が付いた。

(まいったな…………。)新しい煙草を乱暴に取り出し、口唇に挟む。

 …………ふ、と。
 少し離れた位置で、グラスを磨いていた店主と目が合った。
 ほんの少しだけ、皺の刻まれた目が細まる。
(てめェの好きにやりゃァいいんだよ。)とも
(そんなモンでぐずぐず考え込んでンじゃねェよ。)とも、言っているように。

 青年はゆっくりと煙草に火をつけた。
 そして、大きく煙を吐き出すと、
ウオッカを手にとった。


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「なんだ、エースの野郎、ずいぶんカワイラシイの飲んでやがんな………。?どうした」

 5分後。
 カウンターに肘をついて、ひとりむくれる青年に、ちょうど入ってきた銀髪の軍人が声をかけた。

「アンタの連れ!」じろりと黒髪を横目で睨み、青年はわめく。
「おれにカクテル頼んだまま熟睡しやがった!!」

 見れば、頬をカウンターに押し付け、彼はすっかり眠り込んでいた。傍らのカクテルには全く手のつけられた様子がない。

「……ったく、人が久々に気合い入れて作ったってのに……」

 ぶつくさと文句を続ける青年に苦笑を漏らすと、軍人は彼の隣に座り、そのグラスを灯りにかざした。
 逆三角形に細い足の小さなカクテルグラスに、深みのある赤色の酒がゆらりと波をたてる。グラスの縁には、白い雪がうっすらとかぶっていた。

「こいつは塩か?」
「いや、グラニュー糖だ。」
「ふん……。SALTY DOG(ソルティ・ドッグ)とは違うのか。」
「アンタでも飲んだことがあるんだ?」
「そこのジジイが、俺が初めてこの店に来た時に出しやがったんだよ。」
「ジジイが?」

 青年は振り返ったが、店主はそ知らぬ顔でグラスを磨き続けている。

「ソイツ起きやしねェんだよ。不味くなっちまうからさ、アンタ代わりに飲んでくんない?」
「かまわねェがな……。」

 軍人はグラスに口をつけた。
 60ml程度の液体なので、一気に飲み干そうとしたが、瀟洒で愛らしい見た目とはうらはらに、甘味の中に軽い苦味と渋みがあり、アルコールも思っていたよりずっと強い。

「案外キついだろ。」
「まァな。でも…………美味い。」
 にやっと青年が意味ありげに笑った。
「そのカクテルな。KISS OF FIRE(キス・オブ・ファイヤー)、『炎のようなキス』って名前なんだぜ。」
「そういうコト。」

俯せた格好のまま顔だけ起こして、彼がじっと軍人を見つめて言った。

「…………ッ!」
 目を逸らした軍人の目元を鮮やかに染めた赤を、空になったカクテルグラスが映していた。