smokin'


鼻先をゆらゆらと泳ぐ細い紫煙に、蛭魔はキツく顔をしかめた。

「ケムい。」
「ヤニ臭ぇ。」
「壁が黄ばむ。」

蛭魔のこんな凶悪極まりない表情をさらりと流せる人間は限られている。
目の前で煙草を喫んでいるこの男、武蔵はその数少ない内の一人だ。

「汚れたらまた塗り直してやるよ。」
「テメーはいつから塗装屋になったんだよ。」
「じゃ、ロッカールームにはデカい換気扇つけてやるから。」
「そーいう問題じゃねえよ、馬鹿。」

武蔵はなだめるような口調で
「火ぃつけたばっかなんだ。これだけ吸わせろよ。」

言いながら、コーヒーの空き缶の淵で、トン、と煙草を弾いて中に灰を落とした。
以前のようには、もう散らかすこともない。
一日何ケースを灰にすれば慣れるのか、蛭魔は知らないし、知りたくもなかった。


「肺ガンでくたばったって知らねぇぞ。」

数分前にネットで目にした情報がつい、口をついて出た。
武蔵は目を丸くして、

「しょっちゅう『死ね』だの何だの言うお前にしちゃ、かわい……いや、なんでもねえ。」

鼻先に突き付けられた銃口に慌てて言葉を切る。しかし、にやけた口元は納まらない。
睨みつける蛭魔の視線を誤魔化すかのように、武蔵は顔を逸らして盛大に煙を吐いた。


小さなオレンジの火がちりちりと煙草の巻紙を侵食していく。
それを蛭魔は、愛用のノートパソコンを傍らにどけて、頬杖をついた姿勢でじっと見ている。
コーヒーメーカーの作動音だけが、部屋の奥から微かに聞こえてくる他には何もない。
武蔵は自分から進んで話題を振るようなタイプではないので、蛭魔が口を開かなければ、ずっとこのままの時間が続くのだろう。
他人と差向いで座っていて生じる沈黙は、えてして気まずい思いをさせるものだが、武蔵といる時の静けさは嫌いではなかった。

「あのよ、」
「なんだよ。」

珍しく口火を切ったのは武蔵の方だった。

「そうジロジロ見られちゃ落ち着けねえんだが。」
「知るかよ。」
「コイツが気になるか?」
「なんで高校の部室で糞ジジイが煙草吸ってんのか、ってイミで気になるな。」
「ひでぇ言い様。」
「ンな面してんのが悪い。」
「どうせジジイ面だよ、俺は。」
「ハマりすぎなんだよ、十年二十年やってきましたってツラしやがって。詐欺だ。年令詐称だ。」
「へいへい。」
「ムカつく。」
「………………」


フィルターをくわえた姿が、
部室を去る一年前の姿と重なって見えてくれなくて、
何ひとつ変わっていないはずの横顔が、
今はただ遠い他人のようで、
遣り切れない気持ちにさせるのに、
やけにしっくりと馴染んでしまった、
その煙草を喫む仕草を、
何分でも何時間でも眺めていたい自分に気が付いて、

それが、
ひどく腹立たしくて

「……ムカつくんだよ、糞ジジイ」

武蔵は困った顔で、蛭魔と細く立ち上る煙とを交互に見やり、ニコチンまじりのため息をついて、まだ少し長い煙草を揉み消した。

「あ!」
「な、何だよ?」
「……もういい。」
「ああ?」

火をつければ「ケムい」だ何だと罵倒され、消したら消したで「つまんねえ」と言わんばかりに不機嫌な顔をされて、武蔵は困惑とも苦笑ともつかない、情けない顔をする。
それが可笑しくて、蛭魔は喉の奥で小さく笑った。

「テメーは、禁煙パイポでも吸ってろよ。」
「格好悪ぃからヤだよ。」


開け放していたドアから紫煙はもうすっかり逃げて、代わりに、こちらに向かってくる一年部員たちの喧騒が流れ込んできていた。






end.