剃毛プレイ(仮)


蛭魔が目をキラキラさせて、テレビ画面に魅入っている。
キャットフードのCMに出てくる猫のようだと思いながら、武蔵はそろりと後ずさった。
こういう顔の時は、たいていロクでもないことを考えているのに決まっているのだ。

蛭魔は時々、小さい子供のようなことをした。
それは、『犬のしっぽを引っぱってみる』とか『鳩の群れにかんしゃく玉を放り込んでみる』程度の他愛ない悪戯レベルのもので、日頃の悪事に比べれば、ほほえましいとさえ思えてしまうのだが、自分に矛先が向かうとなれば話は別だ。
視界に入らなければまだ危険回避になるかと悪あがきを試みたが、時すでに遅し。
ぐるりと蛭魔が首だけで振り返り(武蔵はエクソシストを思い出した)、何とも薄ッ気味の悪い笑みを向けると、ケータイでどこかに電話をかけた。


数日後の晩――

夢うつつの武蔵の耳元で音がした。
しゃき、しゃき、しゃき、…………
軽やかな金属音だ。涼しげで心地よい。頭がさっぱりとするような――――――頭?
ハッと身を起こそうとした瞬間、半ばのしかかるように身体を押さえ込まれた。
それでもなんとか上体を逸らすと、そこにはハサミを手にした蛭魔の笑顔があった。

「起きちまったか」
「起きちまったか、じゃねえだろ!?何やってんだよ!」

蛭魔が軽く武蔵の肩をはたいた。パサパサと切られた髪の毛が散る。

「ムサシ、テメーこないだ言ってたろ?『前髪が邪魔』だって。のんびり床屋行くヒマもなかったんだもんな。だから俺が切ってやるよ」

は……?切る?髪を?ここで?こんな夜中に?

言いたいことが喉のあたりで引っ掛かり、まともに言葉が出てこない。
ようやく出たのは、情けない逃げ腰の台詞だけだった。

「いや、いい!明日行くから!!」
「遠慮すんなって、おい、暴れるとアブねーぞ?」

蛍光灯に鋭利な凶器が煌めいて、武蔵は硬直する。
キ○ガイに刃物――
そんな言葉が脳裏をよぎり、厭な汗が背中を伝った。
蛭魔が銃火器を振り回すのは大して何も思わないのに、ハサミひとつでこうもホラーな絵面になるとは……
一年のセナたちが見たら、多分泣いて逃げるに違いない。

「悪いようにはしねーって。な」

好きにしろ――武蔵は諦め混じりのため息をついた。

     ◆◆◆

みるみる床が黒くなる。
申し訳程度に敷いた新聞紙一枚では、乱雑に切られた髪を収めきれなかった。
これが終わったら、布団も床も大がかりな掃除になりそうだが、武蔵にはそれすらどうでもよくなっていた。
手に持たされた鏡越しの蛭魔は、とても楽しそうだ。
普通、他人の髪をいじる機会などめったにないのだから、物好きな蛭魔には面白くてたまらないのかもしれない。
それを言うと、蛭魔はふふんと鼻を鳴らし、「糞ジジイが若返ってくのが面白え」と言った。
鏡の中には、中学時代の髪型に近い自分の姿があった。

――あァ、そういうことだったか。

唐突に武蔵は納得した。

あれは春を少しすぎた頃だ。部室を増築してた時。
頭に巻いているタオルを解いた武蔵を見た蛭魔が「髪、伸びたな」と言ったことがあったのだ。
そして、そのまま歩き去ってしまったので、武蔵はさほど気に止めなかったが、いま考えてみれば、様変わりしている自分に対して、複雑な心境だったのだろう。

「待たせちまったな」
蛭魔が手を止めて、武蔵の顔を覗く。「……何か言ったか?」
「いや、大したことじゃねェよ」

微笑う武蔵に、蛭魔はちょっとだけ首を傾げるような仕草をすると、またハサミを動かし始めた。

     ◆◆◆

暑苦しかった前髪も、耳にまで掛かっていたサイドもさっぱりし、素人にしてはまあまあの出来に仕上がった。
これで、ひと月は一応保つだろう。――中央部がまだちょっと長い気はするけれど。

「助かったぜ、ヒル魔。床屋代が浮いた」

顔周りについた毛を払いながら、武蔵は腰を上げようとした。その時、

「おい、まだ仕上げが残ってるから座れよ」

蛭魔が呼び止め、背後に放置していたアヤしいダンボール箱を開けた。
中に入っていたのは、見慣れぬ器具や薬ビン、そして、電動式の――――

「な……ッ何なんだよソレ……!」
「バリカン。髭剃りじゃねーよ」
「あれだよな?襟足とか」
「頭に決まってんだろ。本題はこっから。あんまり髪長いと使いづらそうだから、先にちっと切って減らした。コレならやりやすいだろ」

おもむろに蛭魔はバリカンのスイッチを入れた。武蔵の血の気が音を立てて引いていく。

「もういい!これでいいからッッ!!」
「何がいいんだ。途中だっつってんだろ」
「丸坊主は勘弁してくれ!俺のツラでそれやると、完全に受刑者っぽいんだよ!!」
「安心しろって。何のために真ん中残してあると思ってんだ。刈るのは両サイド。真ん中はワックスで立たせてモヒカンぽくするからな。でも多分髪の量足りねーから、植毛で増やす。……ほら、見たことあるだろ?腕に毛ェ生やして引っ張るCMの。アレ。俺もやってみたくてよ。で、サンプル手に入れた。最後はカラーリングで締め」
「ちょ……っ、おま……そんな世紀末覇者にボコられそうな頭……」
「いいじゃねーか。アメフトはハッタリも大事だ。いまよりずっと迫力出るぜ」
「メットかぶったら意味ねえだろソレ!!」

武蔵の正当な反論を蛭魔は黙殺し、首根っこを引っ掴んだ。

「じゃ、本番行くぞ!」

武蔵の悲痛な叫びが、深夜三時の近所にこだました。

     ◆◆◆

誰も、ツッこまない。

夏休み明け、真面目だった子が遅めのデビューを果たし、それが余りにやりすぎた方向に行ってしまうと、誰も声をかけられない状況になるのと似ている――と武蔵は思った。

関東大会予選会で集まったデビルバッツの面々だったが、誰ひとりとして、武蔵に挨拶はしても髪型については何も言わない。唯一、栗田だけが

「わあ、ムサシの頭鶏みたいだね!――鶏かあ、うん、お昼はフライドチキンにしない?」

と言った。鶏かよ。


クリスマスボウルへの道に踏み出す前に、若干テンションの下がる武蔵を後ろから眺めていた蛭魔は、にやりと笑って呟く。

「いいシルエットになったじゃねーか」

強風に煽られた武蔵の髪型は、少しだけ蛭魔のそれと似ていた。





end.

『漢のムサシ』(19巻)発売前に出したネタの修正版。